2006/07/22 例会    

       「二十四の瞳」 1954年 日本   156分
 

    監督: 木下恵介
    製作: 桑田良太郎
    原作: 壺井栄
    脚本: 木下恵介
    撮影: 楠田浩之
    音楽: 木下忠司
    

    出演: 高峰秀子     小林十九二
        天本英世      草香田鶴子
        夏川静子      清川虹子
        笠智衆        高原駿雄
        浦辺粂子      浪花千栄子
        明石潮        田村高廣
        高橋豊子

  「女の園」に次ぐ木下恵介監督作品。壷井栄の原作を同監督自身が脚色している。撮影も「女の園」の楠田浩之、音楽は「三つの愛」の木下忠司。
  出演者は「女の園」の高峰秀子、田村高廣、天本英世、「昨日と明日の間」の月丘夢路「陽は沈まず」の小林トシ子、笠智衆など。
  昭和三年四月、大石久子は新任のおなご先生として、瀬戸内海小豆島の分校へ赴任した。
  一年生の磯吉、吉次、竹一、マスノミサ子、松江、早苗、小ツル、コトエなど十二人の二十四の瞳が、初めて教壇に立つ久子には特に愛らしく思えた。
  二十四の瞳は足を挫いて学校を休んでいる久子を、二里も歩いて訪れてきてくれた。
  しかし久子は自転車に乗れなくなり、近くの本校へ転任せねばならなかった。五年生になって二十四の瞳は本校へ通う様になった。
  久子は結婚していた。貧しい村の子供達は卒業を迎えても誰一人望み通り進学出来ず、母の死んだ松江は金比羅の食堂へ奉公に出された。
  八年後--その頃擡頭した日本の軍国主義は久子を教壇から追い、大東亜戦争は夫まで殺した。
  島の男の子は次々と前線へ送られ、竹一等三人が戦死し、ミサ子は結婚し、早苗は教師に、小ツルは産婆に、そしてコトエは肺病で死んだ。
  久子には既に子供が三人あったが、二つになる末っ子は栄養失調で死んだ。
  終戦の翌年--久子は再び岬の分教場におなご先生として就任した。教え児の中には、松江やミサ子の子供もいた。

  「二十四の瞳」がこんなに良い映画だったとは・・・。
  高峰秀子もいいですね。また、導入からエンディングまで、日本の懐かしい唱歌が流れ涙を誘われました。
  「あおげば尊し」から「村の鍛冶屋」「ふるさと」「からすの子」「朧月夜」「荒城の月」「春の小川」「庭の千草」「浜辺の歌」、
  ほかにも童謡や軍歌など、約20曲以上が叙情豊かに流れていました。
  子供たちの清らかな歌声は勿論のこと、オルガンや、BGMとしてハーブがやさしく奏でられ、いっそう心に沁みました。
  そして底辺に常に流れている、壺井栄らしい反戦の志が静かに伝わってきました。 (Kさんのメールより)
  
  
  挿入歌&BGMの曲名
  1.仰げば尊し         10.故郷                  19.日本陸軍
  2.アニーローリー       11.朧月夜                20. 露営の歌
  3.村の鍛冶屋         12.春の小川               21. 暁に祈る
  4.汽車は走る          13.荒城の月               22. 若鷲の歌
  5.七つの子          14.港                    23.埴生の宿
  6.ひらいたひらいた     15.いつくしみ深き友なるイエスは   24.庭の千草
  7.あわて床屋         16.金毘羅船々
  8.ひひひふみみみ      17.浜辺の歌
  9.ちんちん千鳥        18.蛍の光

 

  
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