黒澤 明 論   (当シネマ倶楽部会員、高村さんがSNKのMLに投稿されたメールを転載しました)

   (1)黒沢には、何事にも、論理的に、考えなければ、成らない、という
     性癖がある。宗教的、政治的偏狭を廃し、因従、古習に拘らなかった。
     合理的、論理性を、生活の指針とした。
     後半の作品に因習的なものが、幾つかあるが、それは、彼の本質で無く、脚本に忠実だった、だけである。
     彼は、自分の恋愛にも、論理的がった。

     昭和15年、「馬」と言う、映画では、まだ、助監督だった。
     その時、女優高峰秀子と、恋におちた。
     助監督と女優との恋は、今様で言えば、女高生と教師の恋愛みたいなもの、である。
     結局は、実のらないが、この時の事情は、映画「七人の侍」で、津島惠子と、木村功で、詳しく、情況を、撮影している。
     事実は、少し、違い、黒沢は、デコを、孕ませる。
     親分、山本は、この件では、全く、関知せず。

     二人を、取り巻く連中で、この件を、片付ける。
     後に、デコは、M氏が、拾い、セコハンを、逃れる。

     この件は、黒沢は、相当、気になった、らしく。
     戦後、一番先に、原節子を使い、「わが、青春に悔なし」で、説明している。

   (2)剣術でも、黒沢は、論理的であった。
      演劇で、殺人(たて)師と言うのがいる、刀を振り回す中で、斬られる役を、演じる。
      およそ、日本映画は、剣術で、斬る方は、出鱈目に、刀を、振り回し、斬られる奴がうまく、立ち回る。滑稽である。
     「七人の侍」では、久蔵と浪人との、一騎打ち、がある、浪人は、叫び声をあげ、刀を、振り上げ、走って、向かって来る。
     久蔵は、待ち構え、一気に、討す。
     日本の剣術は、刀の切っ先を、ぐるりと回す、円月殺法とか、北辰一刀流とか、何とか、一刀流とか、訳の分からないものが、多い。

    「用心棒」での、三船と仲代の闘いにしても、三船は刀、仲代は、ピストルである。
    仲代はピストルで、鐘を撃つ、弾は、パーンと鐘から、跳ね返る。

    三船は、仲代と、対決の時、胸に鉄板を着けて、ここを撃てと、胸を叩く、仲代の撃った弾は、跳ね返る。

    黒沢の作品で、全巻を、通じて、剣術の場面は、少ないが、チャンバラは、従来の日本のソレを、無視している。

  (3)黒沢が、社会問題から、逃避した、時がある。
    三鷹事件、松川事件、下山事件、帝銀事件、
    黒沢は、是等の事件は戦後の事件として、最も黒沢の取上げたいと思う、事件である
    が、なぜか、取上げてない。
    こんな、事件を、扱うと、訳の分からない、薮蚊みたいな奴にブンブン、取り付かれる、ことを、嫌った、だろう。
    しかし、黒沢に、逃れる事の出来ない事件が、起こった。足許から、火が着いた、東宝事件である。
    彼は、この事件を、論理的に、処理した。
    原作、ゴリキー「どん底」で、自らの表現をした。
   この映画は、既に、フランスの、同名のものがあった。
   ルノアールの、ジャン、ギャバン、ルイ、ジュウーベーの映画である。

   「どん底」を、日、仏、見比べても、黒沢の方が、はるかに奥深く、面白い。

  (4)黒沢が、迷いだしたら、何処まで、迷うか、分からない。
    (闘い、済んで、日が暮れて)、探し、求める、心は。 平和と心、だっつた、だろう。
    黒沢は、当時、不治の性病、と言われた。 梅毒と、取り組んだ、
    この時の、社会情勢は、複雑だった。
    梅毒だろうが、果敢に、性交渉を、勧める医師に、社会は、必ずしも、同意しなかった。
    「生きものの記録」は、この映画は、撮影から、映写まで、暫く、時間が、掛った。

  (5)黒沢の作品を、制作年代順に、並べてみると、「用心棒」「椿三十郎」と続いている。
    この二つには、共通点が、多い。
    三船が、剱の達人である。、時代背景が、江戸時代である。
    仇役に仲代がいる。ハードボイルドである。お家騒動である。
    以上が、大体の共通点で、あるが。

    この当時、黒沢には、一つの悩みがあった。
    東宝が経営難であり黒沢の映画は、制作費が掛かり過ぎる。
    そこで似たような作品を連作したものと思う。

    黒沢の作品はゼニを食う、これが後に彼を、自殺未遂に、追い込む。、

  (6)遂に、日の目を、見なかった、映画が、ある。
     明日を創る人々、である。
     東宝の、労働組合を、促進させる、目的で、組合に、依って製作された、映画である。
    黒沢は、この作品の、共同監督の一人として、参加しているが、
    これは、どうも、僕の作品とは言えない、要するに、闘争委員会が、作った写真で、そういう形の作品は、いかにつまらなくなるかと言う、
    いい、見本みたいなものだ、と言って、この映画から、撤退した。
    それで、この映画は、日の目を、見なかった。
    それは、そうとして、私は、観たいと、思う。

  (7)黒沢は、読書家である、中でも、漱石は、良く読んだらしい、三四郎が、好きのようだ、
     黒沢のデビュウ作、「姿三四郎」と関係があるかと言えば、全く、関係ない。
    漱石と言うより、漱石の弟子、内田百閧フ「まあだだよ」を映画化した。
    この、「まあだだよ」は、黒沢の作品にしては、凡作と思う。
    そして、この作品が、黒沢の最後の作品となる。

  (8)黒沢が、能に凝ったのは、いいとして、セークスピア、とりわけ、マクベスは、病、膏盲である。

    物の怪、出て来いと、叫んだり、血が、拭いても、拭いても、落ちない、
    森が、動いてる、実際、「隠し砦の三悪人」でも、森を動かしている、
    何の為にマクベスに拘っているか、理解出来ない。 凝り症も、度が、過ぎている、感がする。

    「乱」は、リア王、そのものの、映画化である。

    この辺から、黒沢の映画が、面白く、無くなった、と言う、人も、多い。

  (9)日本の映画で、、最初の総天然色は、カルメン故郷に帰る、である。
     日本映画が、天然色が、流行る中で、黒沢は、頑なに、モノクロに拘った。
     黒沢が天然色を、始めに使ったのは、カルメンから、19年経って、「赤ひげ」からである。
     「赤ひげ」は、原作者がいる。山本周五郎である。
     山本、周五郎の、赤ひげ診療譚である。
     黒沢映画で、原作者がいるのは、これが、初めてである。
     「羅生門」があるが「羅生門」は、芥川の、薮の中が、原作とされており、
     芥川の羅生門と薮の中が、ミックスされており、「羅生門」が、原作が、必ずしも、芥川とは言えない。
     「赤ひげ」の、特徴は、原作に忠実である。
     山本の小説で、樅ノ木は残ったの、原田甲斐は、自己規制出来た点で、赤ひげに、似ている。

 (10)「赤ひげ」から、「どですかでん」まで、5年の時間がかかる。
    この間、黒沢は、日米合作に、活路を、見出そうとした。
    トラ、トラ、トラ、暴走機関車、を、企画したが、結局は、流れた。

    そうした時、作った映画が、「どですかでん」である。
    「どですかでん」は、架空の電車の音である、
    私は、この映画を、見てないので。なんとも言えないが、評判は、良くない。
    この映画は、黒沢のターニング、ポイントとなっている。
    この映画から、カラーになっている、(「赤ひげ」は間違い)

    もう一つ、さらば、三船、である。
    この映画以降、黒沢は、三船を、一切、使ってない。

    この後、黒沢は、自殺未遂、する。

    黒沢、最後の映画「まあだだよ」の中で、歌われる唄。
    オイチニの薬の効能は、産前、産後に肩の凝り。
    おわり。

     黒澤明 作品一覧   http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=14218


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